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暗黒の二年間 30 [音楽]

それは地球人女性の出産にたとえるなら、一種の「早産」とも言える事態だった。


Tom Petty - Learning To Fly 投稿者 samithemenace

イラスト原稿の入稿を終えた僕たちは、会社で残業後の徹夜という凄まじいスケジュールの後で疲れ切っていた。寝室に入ると気絶するように倒れ込んだ。異変が起こったのはその時だった。
例えようもない、制御できない力によって僕はタツオ君の意識下にある静かな小部屋のようなところから、無理やり吸い出されるような状態に陥り、どう意識を集中してもそこにとどまることが出来なくなってしまった。タツオ君の精神があまりの消耗のため、一種の自己閉塞状態になってしまったためだ。こういうときに脳と神経系は、手近にある魂ならば何でも利用してしまうように出来ている。生存本能なのだ。古来よりよくある狐憑きなどの憑依現象は、このために起こる異常現象なのだ。だがこの場合は違った。一番手近にいたのが僕だったからだ。そして適切なコントロールが出来ないまま、僕はタツオ君の肉体の支配者となってしまったのだ。それは胎児が発育不全のままこの世に生まれてきてしまったのと同じ状態といえた。

状況を把握した僕は、ほとんど恐慌に近い状態に陥った。
「タツオ君!タツオ君!目を覚ましてくれ!」
僕は叫んだ。閉塞したタツオ君の意識にアクセスするだけなのに、声に出してそう叫んでしまった。急に立ち上がり、足をもつれさせて近くにあった家具に顔面をぶつけてしまった。激痛が走った。
(まずいぞ、これは…最高にまずい…)
「タツオ君!タツオ君!」僕は尚も大声で叫んでしまった。
台所で朝食を作っていたマコさんが、何ごとかと走って来た。状況を見るなり顔色を変えたマコさんは、「鼻血!どうしたっていうの?」そう言いながら僕を再度床に就かせた。ティッシュペーパーで血を拭ってくれるのだが、止まらないらしく、それが鮮烈な赤色の山を形作ってゆくのだ。
「マ、マコさん…!!まずいんだ…、タツオ君が…タツオ君が…」
「何を言っているの!タツオさんはあなたでしょう?」マコさんの声が震えているのが分かった。あきらかに異常なこの状況を、一体どこの地球人が理解し得よう?
「おとうちゃんどうしたの?」
マコさんの背後からサキちゃんとサトくんも心配そうに顔のぞかせた。しかしその時の僕は、子供たちにさえ掛けてあげる言葉が見当たらなかった。

そしてマコさんに付き添われて休むうちに、耐えがたい睡魔が襲ってきた。眠っている場合ではないというのに、信じがたいほどの猛烈な眠気なのだ。そして意識は何者かに吸い込まれるかのように遠のいていった。

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暗黒の二年間 29 [音楽]

僕の宿主であるタツオ君は、一種の責任感から、日頃会社でも人一倍仕事を抱え込む質だった。そして性格からそれを完璧にやり遂げなければ気が済まない面もあった。そして周囲はそれをよく知っており、信頼をおいていた。すでに退職を決めてはいたが、そう簡単に辞めさせてもらえない理由もひとつにはそこにあったのだ。そして季節は2009年の晩秋、十一月も終わろうというところまで来てしまっていた。



「辞めて家族は一体どうするんだよ?」
タツオ君の直属の上司である人物が言う。
「貯えがありますし、次にやる仕事もとっかかりがつかめているから大丈夫です」
「ああ、あの、絵を描いて独立するとかってやつだろう?まだそんなたわごとを言っているのか?」
「はあ…」
「賛成できんな、全然。今の給料でどうして満足できない?人事に散々交渉して、会社の規定を無視してまで上げた金額だぞ。それもこれも、お前の能力を俺が一番良く知っているからだ。それを上回る収入が得られるとでも言うのか?」
「部長、これはお金の問題ではないのです」
「金以外に何の問題がある?男は稼いでどれだけ家に金を入れられるかでその価値が決まるのだ。奥さんだってそれを望んでいるに決まっているよ」

価値観と言おうか、視点のあまりの違いに僕たちは言葉を失った。そしてこの押し問答が今後幾度となく繰り返されることとなるのだ。タツオ君はいかに価値観が食い違おうと、上司の態度を一種の愛情と考えていたので、退職に反対されているうちは、辞表をたたきつけるなどということができなかった。しかし僕たちには時間がなかった。すでにスタートしている絵の仕事もそうだったが、それ以上に問題なのは、現在表面に出ているタツオ君の人格と、背後に隠れている僕の人格とが入れ替わる時が、約一カ月後に迫っていたからだ。

乏しい時間の中で、僕たちは全く種類の異なる仕事を曲芸のようにこなさなければならなかった。そして今の時期は、そのような激務に耐えられる時期ではなかったのだ。やがてタツオ君の精神は疲弊し、ぼくはそれを固唾をのんで見守らなければならなかった。他にもさまざまに厄介な諸事情が重なり、ついにリスキーウォークインの待機状態に異常が出始めたのだった。

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暗黒の二年間 28 [音楽]

「これは?」高倉さんが聞いてきた。
「僕が描きました」僕たちは静かに言った。
「これらを!?あなたが?」高倉さんの表情が驚きに変わってゆくのが見えた。
「ええ…いつか僕も一人で仕事がしたいと思っている口なのです」
「ううむ…」高倉さんは何度も唸るような声を発しながら、ランダム撮影された作品に見入っていた。
「使い道のない絵なのです」
沈黙に耐えられなくなった僕たちが、思わずそうつぶやいた時だった。



「これは…、これは実に、お世辞抜きで素晴らしい作品です」
真顔で言う高倉さんの顔を見ながら、どうも氏が真剣に言ってるらしい、と僕たちは判断した。
「ありがとうございます、二十代の前半に数回開いた個展以来、一切発表という発表をしてこなかったものですから、そう言っていただけると光栄だな」
そう言いながらも、僕たちは心底うれしかった。今日ここへ来てよかった、そう思った。ところが話はそれで終わらなかったのだ。
「いや、すぐに描いてもらいたいものがあるのです」
これは予想だにしない展開だった。
「本当ですか?」驚きを声にするように僕たちは言った。もう披露宴などそっちのけで、高倉さんと僕たちは、現在高倉さんが手がけている本の、表紙絵の打ち合わせに入ってしまったのだ。結局近々にラフをメールすることになり、僕らは高倉さんのメールアドレスの入った名刺を一枚もらった。
その後も話は画家や出版業界の話など、尽きることなく、宴はあっという間のお開きとなった。僕たちは何の拍手だかも忘れて、ただ周りに合わせて手を叩いていた。

イラストレーターをだれにするかで行き詰まっていたところだったので、今日は会えて本当によかったです」高倉さんが言った。
「いえ、こちらこそです。充分な納期を頂けましたが、僕にとっても久しぶりの仕事ですし、ラフは早めに送りますので、いろいろ注文をつけてもらえたらと思います」
「ではメール待ってますから」
そう言って高倉さんは一足先に会場を後にした。

こうして僕たちのイラストレーターとしての仕事が始まった。しかしそれはタツオ君にとっても、そして僕にとっても、単なる副業以上の重みを持っていたと同時に、その後の長期計画への幕開けともなる重要な仕事だったのである。


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暗黒の二年間 27 [音楽]

そして2009年の秋も盛りとなった十月のよく晴れた日に、僕たちはある親せき筋の結婚式に招かれていた。

[高画質で再生]

ジョージ・ウィンストン あこがれ 愛 [ネットショップ開業]

「はじめまして、高倉と申します」
披露宴の隣席に座っていた隣席の人物が、僕たちに話しかけてきた。朗々とした声の好人物に見えた。歳は僕たちよりも一回り上といったところか…。話好きな人物と見えて、僕たちは隣で退屈することがなかった。そして互いに飲み物を継ぎあったりしながら、職業の話になった。
「僕たちは…いや僕は、今はメーカー勤務で、購買をやってます。それ以前がスーパーのバイヤーだった関係もありまして」
そう僕たちは自身、つまりタツオ君の経歴を簡単にしゃべった。
「バイヤーってどこのスーパーだったんですか」
僕たちはタツオ君がかつて勤めていたスーパーの名前を言った。
「おお、すごい。一部上場企業じゃないですか。ウチも毎日のようにお世話になってます。品揃えがいいですよねえ、とくにお惣菜が最高においしい」
「ありがとうございます。…ってもう社員じゃないわけですけど」
「うん。それで今の会社?購買でしたっけ?」
「×××××ってお菓子知ってますか?」
「ええ、出先で良く買いますよ、美味しいですよね、あれのメーカーさんに?」
「ええ。でも長年仕入れ先に頭を下げられる仕事ばかりしていて、こんなんでいいのかと思っちゃいます」
「ハハハ…、いいじゃありませんか、頭を下げる方が普通で、そっちの方がずっと大変なんだから」
「すると高倉さんは何かの営業職をやられているので?」
「営業もやってました、というべきかな。印刷営業をしてました。その前は出版社でスポーツ雑誌のライターです。これが不規則でね」
「噂には聞きますが」
「結局時間があんまり不規則なのもあって、これはいかんな、と思い辞めました」
「で、その後で印刷営業をなさって、今は?」
「結局一人がいいなと思って、独立したんですよ。今はクライアントから印刷物の発注を受け、企画からデザイン、組版までする仕事です。本の装丁が多いかな」
「へえ、デザイナーさんだったんですね」
「ええ」
「実は僕も似たような仕事をしていた時期があるんですよ。これが最初の仕事らしい仕事だったんですが、広告会社で六年間、デザインやレイアウトをしてました」
「ええ?奇遇ですね!というか多才なのに驚きますね」
「いや、全部なりゆきですから」
ふと僕たちはあることに思い当った。携帯してきたデジカメの中に、タツオ君が描いた作品が沢山入っているのだった。これを目の前にいて気軽に話せるこのデザイナーに見せても良いのではないだろうか。タツオ君がそう考えているのが分かったので、僕も意識下から賛成していた(もちろんこの時点で僕の声はまだタツオ君に聞こえていない)。
「高倉さんに…ちょっと見てもらいたいものがあります」
僕たちはそう言って、手に持っていたデジカメのボタンを押しながら画像を送っていった。


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暗黒の二年間 26 [音楽]

「勝つこと」。他を蹴落としてでも「勝つこと」に何か生産的な意味があるだろうか?
結局、勝者がいれば敗者が生まれる。勝者は勝者のままで居続けようとし、その城の周りに巨大な防壁を張り巡らす。敗者はいつか勝者になろうともがき、隙あらば勝者の城壁を破壊しようと目論む。これまで幾度も勝者が敗者となり、敗者が勝者となった様を見てきた。そしてこのゲームは、この地球上の至る所で長いこと繰り返されてきたのだ…。

問うてみるに、これらのゲームのどこかに、愛と呼べるものが存在したことがあるだろうか……?断じて否である。

しかしながら、地球人は愛を知っている。ではなぜ愛が普遍的に、かつ恒久的に実現されないのか?それは努力を強制されるような問題ではなく、痛みを伴わねばならない行為が必要とされることでもない。単に散漫な集中力しか持たないが故の、理解の欠如がそれを拒んでいるだけのだ。



その日ゲームにエントリーした人間は、すでに一日の大半を、ある存在に売り渡してしまったことになる。しかし就寝前のひととき、それはほんの数分間かもしれない、記憶に残る美しい景色に思いを馳せるとき、愛らしい子供の寝顔を見るとき、書物に真実を求めるとき、優れた音楽に聞き入るとき、そこに初めて愛がある。故に地球人は愛を知っているのである。しかし一日の大半を、闘争に費やさねばならないというこのゲームに参戦しているがため、愛を実践できる人は限られてしまうのだ。このゲームは、地球人の社会が推奨し、かつ強制するものである。ところが地球そのものは、このゲームの及ぼす弊害に悲鳴をあげている、というのが実情だ。

かつて、このダムネイションゲームのルールを考え、隙がないほど精密に組み立てあげ、地球人に逃げ場を見失わせた存在がおり、常にこのシステムにブラックホールのように、全てを取り込もうとしている。故に僕たちが戦う相手は人類ではないのだ。この暗躍する存在こそが僕たちの唯一の敵であり、地球人は全て犠牲者であると僕たちは考えている。

また指摘しておけば、このブラックホールは、質量の軽いものには一切作用しないようにできている。質量の軽いもの、すなわち魂、それもピュアで軽量化された魂だけが凄まじい吸引力から逃れ、かろうじて地球人に理性を保たせている。僕たちはこの理性に訴え、不純物を取り込みすぎて重たくなってしまった魂を、再び蘇らせようとしている。

古来より輪廻転生という概念がある。これは上記ブラックホールのシステムに吸い込まれた魂を、再利用するために作られたサブシステムである。すなわち、ブラックホールに飲み込まれた場合、その魂を再度新しい人生においてゲームにエントリーさせ、そこから尚も利益を得ようとする搾取のシステムである。そうまでして、彼らは何を得ようとしているのか?彼らにエネルギーを与えるもの、それこそが、人間が恐怖する時の波動なのである。怖がり始めるとどんどん怖くなってくる、そんな経験はないだろうか?それはあなたが恐怖した瞬間に、より深くシステムにはまり込むからなのだ…。

このシステムから脱却する方法は、箇条書きにして壁に張ればよいというものではない。まずは、システムの管理者によって隠されてしまった真実を見抜く眼力が必要である。眼力は集中力である。それはりきみではなく、恐怖から解放されたときにのみ、自然ともたらされる賜物である。落ち着いて…、そしてただ良く見ることである。今、目の前で行われていることは一体何なのか?皆さん自身がそれを見抜いた時には、既にシステムから解放されていることだろう。

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暗黒の二年間 25 [音楽]

「おとうちゃん、ピーチがいないんだけど…」
翌日、会社から戻った僕たち(タツオ君+僕ことピーチ)は、サキちゃんからさっそく予想通りの質問を受けた。
「あいつか?あいつは何か急用だとかで故郷(くに)に帰るって言って、ゆうべ行っちゃったぞ」
「ええっ?どうやって?宇宙船乗ってったの?」
「いや。どうもあれで帰るのは無理らしいね。この太陽系あたりをうろうろするくらいのエネルギーしか残ってなかったようだから」
「そうでしょう?だって前サキが乗せてもらったときに、『燃料が少ないから遠くまで行けない』と言ってたんだもの。帰れるわけないと思ってたのになあ」
「迎えが来たのさ…」
「もうっ!どうして教えてくれなかったの?」サキちゃんは憤慨して言った。
「すぐ戻るんだから、知らせなくていいと言われていたんだ」
「それでも一言くらい言ってゆけばいいのに」
「ピーチいつ帰ってくる?」さっきからサキちゃんの後ろで突っ立って聞いていたサトくんが口をはさんだ。
「そうだな…三、四ヶ月って言ってたよ」
そう答えると、サキちゃんが目を丸くして叫んだ。
「そんなに!あーあ、宿題教えてくれる人がいなくなっちゃった!」
正直この種の反応が返ってくると思っていなかった僕たちは
「そっちかよ」と言って、その場を終わらせた。これでしばらくは落ち着くだろう。


The Mac Coys - Hang On Sloopy 投稿者 scootaway

僕たちにとって問題なのはむしろ会社の方だった。僕もこの日、会社というものに初めて出向いたわけなのだが、実際行ってみると、今まで聞いていた以上に厄介な代物であることがわかったのだ…。何と形容しよう?現在の地球が同じように厄介な状態にあることは、この回想編より以前から語って来た通りだ。そしてその縮図とでもいうべき混乱状態が、野放しの状態でそこにはあった。無論、定められた「規則」なるものがあったし、推奨される「正義」なるものがあった。しかしそれらすべてが僕たちの視点から見ると、誤った土台のもとに突貫工事で構築された、いわば「幻影」なのだった。それは国家と同じ混乱状態とも言えた…。僕や故郷の人々、そして地球人で言えばタツオ君のような人たち…、そういった間柄で通用する当たり前の理性も、美しい論理性も、そこではほとんど通用しないのだった。タツオ君の意識のうしろにあっても尚、そこに飛び交う負の波動は、この身体にしがみつく僕の腕を痛めつけた。正直、タツオ君には早くけりをつけてもらいたかったのだが、それでもこの時はまだ、なんとか乗り切れるつもりでいたのだ…。

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暗黒の二年間 24 [音楽]

翌日は小雨が降っていた。気温もかなり低く、肌寒いくらいだった。

「…ええ、こちらで持参します。子供たちに死体を見せたくないもので…」
僕の遺体については、あらかじめ打ち合わせていた通り、一番近くの動物霊園に任せることにした。この日はその打ち合わせから始まった。タツオ君は遺骨を終生持っていたかったようだったが、もともと単なる合成身体なのだから、と言い聞かせ、火葬後は合同墓地に入れてもらうことにした。これについても僕の遺体が通常の犬や猫と一緒に焼かれることに対して、タツオ君は強い抵抗を持っていたようだが、逆に骨に合成身体特有の特異な点が発見されたりするリスクを免れるのに都合が良いからと、僕が説得したのだ。


Lou Reed - Cremation Live 投稿者 bebepanda

結局、クーラーボックスに詰め込まれた僕の遺体は、タツオ君の車で動物霊園まで持ち込まれた。本来ならば霊園の方から迎えに来るのだが。これからつく嘘がばれぬためには、こうするよりほかなかったのだ。
傘をさして園内を歩いてみると、ここはペット霊園だと言われなければ、人間のそれと見分けがつかぬくらいきれいに整備された施設だった。

「お電話でだいたいうかがいましたけれど、合同葬ということでよろしいのですね。」
「ええ」
「では、こちらにご記入をお願い致します」
霊園の受付職員はそう言って用紙とボールペンを差し出した。
「火葬までは、他のご遺体との兼ね合いで2~3日かかります。済みましたらご自宅にその旨お手紙が届くようになっておりますので…」
「あ、それは困ります。子供たちにはこいつが行方不明になったと言うつもりなので」
タツオ君は足元のクーラーボックスを指差した。
「左様でございますか。随分と可愛がっていらっしゃったのですね…。」
「はい。家族同然でした、いや、それ以上かな…」
「それであればひとつ、お墓を設けられては…?」
「いや…あまりご大層なことはしてくれるな、というのが本人の希望で…」
「ご本人?ご本人とおっしゃいますと…?」職員は怪訝そうな顔になった。
「あっ、その…生前ですね、そう言っているような顔をしていた、という意味で…」
「それは、以心伝心というものですね。本当に猫ちゃんをお好きな方は、よくそうおっしゃいますからねえ…」

僕たちは火葬の申込書に記入を終えると、葬儀料金を支払い、僕のぬけがらをあずけた。職員には、連絡は携帯電話に、と念押しして事務所をあとにした。

「なんだかあっけないな。なあ、ピーチ…」
タツオ君がそう言っているのが何となく聞こえるのだが、こちらからは何も伝えることが出来ない。それが「待機状態」というものなのだ。
(死んだわけじゃないんだしさ、供養してもらえるだけでも、もったいないくらいさ)
そう僕は言いたいのだが、今や肉体は霊園にあり、火葬を待っている。そして宿主であるタツオ君の身体をコントロールしてしゃべるには、最低でもあと三カ月以上を要するのだ。そして蛹のような朦朧とした意識状態の下では、思念を送ることさえ不可能なのだった。

車まではまた傘を差さねばならなかった。歩くたび、空のクーラーボックスのなかで、保冷剤だけがカタコトと音をたてていた。

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暗黒の二年間 23 [音楽]

そして、2009年9月がやって来た。
子供たちもすでに学校が始まっていた。
ロザリオの大震災に関する予言を聞いてからというもの、まったく落ち着くということがなかった僕たちは、それぞれの思いの中であくせくと夏の日々を送り、ついにその日がやってきたのだ。



椅子に座って向かい合おう、君の一番楽な姿勢をとってくれ」
宇宙科学研究所の中はひっそりとしていた。ここのところ夜は涼しさが増したようだ。少し開いた窓からはもう、秋の虫の声が聞こえてくる。
「いよいよおさらばだな」タツオ君が言った。
「それも誰も気づかないおさらばだね」と僕が返す。
「子供たちはお前がいなくなったと言って、泣くだろうな」
「仕方ないさ、それに実際は目の前にいることになるのだし」
「なんとも奇妙な別れだ」
「そして僕たちにとっては…」そう言ってタツオ君の目を見たとき、タツオ君はみなまで言うなと頷いた。
「さあ、はじめてくれ」

僕らは目を閉じ、当然ながら憑依する側の僕主導で、タツオ君への「ウォークイン」は行われた。通常意識が別次元を見るときは、額の裏にある窓からその次元に侵入するだけでよい。今回はそういうわけにゆかない。意識体そのものが肉体を完全に抜け出し、僕は研究所の中を浮遊する幽霊のようになった。この状態を制御するのは大変な集中力を要する。抜け出した身体はうまくバランスをとらないと、際限なく上昇するか、逆に際限なく下降を始めてしまうのだ。しばらくの間僕は床と天井の間を、ピンポン玉のように跳ねまわった。しかしようやくコントロールの勘が戻ってくると、タツオ君の両肩に両手でしがみつくようにして、全身をタツオ君の体内に潜り込ませていった。そして約一時間ののち、僕の意識体の運動が完全に止んだ。ひとまずはじめにやらなくてはならないことは完了したのだ。

そしてこの先三ヶ月間は、僕の意識が外界やタツオ君と交信することはない。これを「待機状態」といい、肉体のエネルギーのセンター、すなわちチャクラに仮接続したような状態が続く。僕はいわば蛹のような状態で、タツオ君に話しかけられても、それに答えることが出来ない。非常にデリケートで、この間は宿主も身体的にも精神的にもできるだけ安静にしなければならないのだ。タツオ君には実際に退職するまでの間、無理をせず残業なども控えてくれるよう頼んでおいた。そしてこの三ヶ月間が過ぎると、徐々に僕の意識がタツオ君との交信を行いながら、現在表面に出ているタツオ君の意識と入れ替わってくるのだ。これを「移行期間」といい、さらに約一カ月を要する。かなり長いプロセスなのだ。

タツオ君(=僕)は、抜け殻になって椅子に丸くなっている黒い猫の身体を抱き上げた。
「長い間、お疲れさん…」そう言った僕たちの目からは涙がとめどなくあふれだした。
そしてひとしきり遺体を抱いていたが、いつまでもそうしているわけにもゆかず、用意しておいた大きめのクーラーボックスを開くと、遺体をビニール袋でくるんだ後、丁寧にそれをしまった。明日にはこれを火葬場へもってゆかなくてはならないのだ。

一つの身体に二つの魂が宿っているにも関わらず、僕たちの身体は肌寒さを感じていた。僕たちは少しばかり開いていた窓を閉めた。もう夏は終わったのだ。僕たちはその年、かつてないほどに、秋の訪れを強く実感していた。

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暗黒の二年間 22 [音楽]

神流町の恐竜センターまで大した距離でもなかったが、着いたころにはサトくんが居眠りを始めていた。
「サト、サト。着いたぞ。恐竜だぞ、起きろ」
タツオ君はサトくんを揺すぶってみたが、眉間にしわを寄せているだけで目を覚まさない。
「おとうちゃん、サトかわいそうだよ。あたしも疲れた」
サキちゃんまでがそう言う。
「そしたら昼寝してから行こうか」
「もう恐竜なんていいよ、帰ろう」
「でも一見の価値はあるらしいよ」
「おとうちゃん一人で行ってきて」
ひと眠りもすればすぐに元気になるという当たり前の展望が、幼い子供には持てないのだ。
確かに不二洞であれだけの距離を歩いて、郷土玩具館であれだけ笑い転げれば疲れるだろう。タツオ君もそう頭では理解できるものの、今日ばかりはあきらめられないのだった。



結局、昼寝をしてふたりとも元気を取り戻したものの、サキちゃんなどは、
「えー、まだ恐竜センター?帰るんじゃなかったの?」と不平までもらしたが、しぶしぶ車を降り、入館するに至った。場内は本物の化石が沢山あって、タツオ君だけは「すごいなあ。でかいなあ」と本気で感心していた。ところがサキちゃんとサトくんは、足早に先をいそぎ、さまざまな展示物の前をただ通過していた。(子供って恐竜、好きなんじゃなかったけ?)タツオ君は考えたが、子供の興味というものは常に気まぐれであったり、時に恐ろしく狭く限定されているものなのだ。二人とも家に帰ってゲームでもしたいのだろう。こうなるとタツオ君もお手上げだった。二人を追って足早に館内をまわり、車に戻った。
「本当に、しょうがない奴らだな、帰るぞ」
「やったー!!帰ろー!!」と今度は合唱。

峠道を下ってゆく時は、今度はタツオ君が疲れてしまった。激しいカーブの連続で、腕が痛くなってきたのだ。逆に子供たちは騒ぎ始めた。難しいものだ。

秩父市の、広い駐車場のあるコンビニエンスストアでタツオ君は車をとめた。
「サンドイッチかなにか食べるか?お腹すいたろ?」
「サキ、コロッケがいい」
「よし、コロッケな、サトは?」
「タトはいい」あいかわらずサシスセソが言えてない。
「お腹すかないのか?」
「サトはお菓子ばっか食べてるんだもん」サキちゃんがたしなめるように言った。
「おとうちゃんも疲れたでしょ。食べて少し寝たら?」
いつのまにかサキちゃんも、そんな気遣いをするような歳になっていたのか…。

車の中でタツオ君は本当によく眠った。目が覚めた頃には陽は西に沈もうとしていた。たくさんの赤とんぼが、童謡よろしく夕陽に染まっているのが見えた。
「さて、長瀞の川沿いを走って帰ろうか」タツオ君が言った。
「帰ろう」サキちゃんが答えた。サトくんは再び寝息をたてていた。

そんな風に、2009年の夏の日が終わっていった。

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暗黒の二年間 21 [音楽]

不二洞からほど近い、同じ上野村内に、「全国郷土玩具館」というのがあった。タツオ君たちに予備知識はなかったが、随所に看板が出ていたので、それを頼りに車を走らせてみると、それは通りの右手にあった。館内はひっそりとしていていたが、隣の家屋でおもちゃ作りのワークショップを行っている、職員らしい人に声をかけて見ると、喜んで案内してくれた。中には大変珍しい郷土のおもちゃが、無数に展示してあった。その日はほとんど貸し切り状態で、タツオ君はしきりに職員に玩具についての質問をした。誰のコレクションか、とか、施設は公立なのか、といった内容にまで及んでくると、だんだん話も盛り上がってきて、すっかり子供たちのことを忘れてしまっていた。



しばらく話に夢中になりながら、館内を歩いていると、
「あれを見てください」と職員が指差した。
見るとひょっとこの仮面をかぶったサキちゃんが、ガニ股になってどじょうすくいを踊っているのを、サトくんが腹を抱えて大爆笑しながら見ているのだった。
「どうやら、気に入ってもらえたようですね」職員は笑った。
「いや、お恥ずかしい。あまり自由に育て過ぎたもので…」タツオ君は頭をかいた。
「おや、こんどはおかめになりましたよ」
見ると確かに今度はおかめの顔をしたサキちゃんが、相も変わらずどじょうをすくっている。サトくんはすでに床に転がって、痙攣するように笑いこけている。
「ほら、だめだろ。いたずらしたら」さすがのタツオ君もあきれ顔で言った。
「いいんですよ。あれはああやって遊ぶために、あそこに置いてあるんですから。それよりお嬢さんを写真に撮っておいてください。きっと結婚式のとき受けますよ」
(サキの結婚式…おれはその時、そこにいるのだろうか、それともいないのだろうか…)
タツオ君は頭の中に黒いもやがかかったように、それ以上考えることも、想像することもできなくなってしまった。

タツオ君は丁寧な案内をしてくれた職員に礼を言いながら、
「この辺で、他に面白い所ってありますか?」と尋ねてみた。
「そうですね、先に行けば釣り堀がありますが、まあ釣りはどこでもできますからね。せっかく埼玉からいらしたのでしたら、是非帰りに神流町の恐竜センターに寄ってみてください。あそこは実際に日本で初めて恐竜の足跡の化石が出たために、このあたりには場違いなくらい立派な施設になってるんですよ。」

タツオ君は玩具館の職員のアドバイスに従って、来た道を引き返して行った。まだまだ陽は高い。イベントはこれからなのだ…。そう思っていた。

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