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暗黒の二年間 50 [音楽]

蓮池さんは奥の台所に消えると、しばらくしてお茶を持って来てくれた。



「勤めはまだスーパー?」
「いや、いろいろあって…今はメーカーなんですよ」
「いろいろやってるんだなあ、俺とは大違いだ」
「だけどいまだに絵描きになれません」
「そうか、描いてるって言ってたよなあ、子供のころはやってなかったろう?」
「そうですね、でも高校から油絵をはじめたんです。そのころにはもう蓮池さんとも会わなくなっていたから」
「大学を出てから東京へ行ったんだろう?」
「そうです。でも今となっては何をしに行ったのかわかりません」
「帰って来たのは何年前だっけ?あの七夕の年だから…」
「7年前くらいですかね。帰って来てからも随分時間を無駄にしました」
「だけどちゃんと家族を養っているじゃないか。それで充分だろう」
「そう思えたらどんなに楽だったか…」
「何か悩んでる?さっきは今にも死にそうな顔してたよ」
「いやだなあ。だから声をかけたんですか?」
「そういうわけでもないけどさ」そう言って蓮池さんは笑った。

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暗黒の二年間 49 [音楽]

それから蓮池さんとクッキーとともに、橋から五百メートルくらいだろうか、町なかに近い方へ歩いてゆくと、タツオ君も良く知っている寺院のすぐ近くに蓮池さんの住まいはあった。



「いまだにこの貸家を借りてるのさ。その代わり三軒全部借りている。冗談みたいだろ。何しろ物が増えちゃってね」
「そうだったんですか」
「まあ、話は仕事場でしよう。いつだっだか七夕祭りで会ったとき、俺の原画がみたいと言っていたもんな」
クッキーを庭先に繋ぎながら、そう言って蓮池さんは三軒貸家の一番手前にある一棟に入っていった。
「散らかってるけど入って」

蓮池さんの仕事場は、机に座布団というスタイルだった。机の上は色を塗っていない下書きのようなものがあり、あとはペンや画材で埋め尽くされているようだったが、良く見ると蝶やトンボなどさまざまな昆虫の死骸などが陶器の皿に乗っていた。これが「自然の中で遊ぶ子供たち」を一貫して描き続けてきたベテラン絵本作家の仕事場なのだ、と思うとタツオ君の中ににわかに忘れていた興奮が蘇ってくるのだった。


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暗黒の二年間 48 [音楽]

2010年の秋がやってきた。秋晴れの、穏やかな日だ。あいかわらずタツオ君は、喜びも悲しみもないフラットな意識の中で過ごしていた。その日は仕事が休みだったため、たまには散歩でもしようと、ウォークインの前に僕と歩いた道をゆっくりと歩いていたのだった。
まるであの時を再現するかのように…。



川沿いの道を歩いてゆくと、古い橋のたもとへ出る。タツオ君は橋を渡って、反対側の斜面を下りてみた。これもあの時と同じだ。緑色の急流を眺めていると、橋の上から声がした。
「タツオ君、タツオ君じゃあないか?」
橋を見上げると、犬を連れた年配の男がこちらを見下ろしている…。タツオ君にはその人物がだれかすぐに分かった。
「蓮池さん?」
その人物、分厚い眼鏡をかけ、野球帽をかぶり、一見したところこのあたりの農家のおじさんにしか見えないその人物こそ、出版美術の世界の人々がカリスマと崇める絵本作家、蓮池月夫その人だった。
「久しぶりだな。こんなところで何してる?」
「いや、散歩です。ここはクッキーの散歩コースですか」
クッキーとは連れている犬の名である。蓮池さんの絵本には、デビュー作から現在に至るまで、必ずこの犬が登場する。
「いつもじゃないがね、今日はこっちを歩いてみた」
「そのクッキーは何代目ですか?」
「4代目だ。こいつはメス」
「そうですか、本の中ではオスですよね」
「そうだ。暇なんだったらうちに来いよ、子供のころからついぞ来たことがなかっただろう」
「いいんですか?」
「いいさ。あいかわらずのんびりやってるんだ」

なぜこのような人物とタツオ君が知り合いなのだろうか?
それはタツオ君がまだ小学生だったころに遡る。

当時、若き蓮池さんは初めての絵本にして不朽の名作、「やまどり」を出版したばかりだった。そして自然を描くため、東京から田舎暮らしを求めてタツオ君の住むこの町に移住してきたばかりでもあった。そのころは犬の散歩ではなくて、ジョギングが蓮池さんの日課で、タツオ君たちの遊び場はそのコースになっていたのだ。「おい、仲間に入れてくれよ」そう言って蓮池さんはタツオ君たちの石蹴り遊びに入って来たのだった。それ以来、三角ベースやら虫とりやら、一緒に遊んでいるうちに、子供たちはすっかり蓮池さんなついてしまったのである。とりわけタツオ君の家にはたびたび寄ったので、当時健在だったタツオ君のお母さんや、妹さんなども含めた交流があった人なのだ。

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暗黒の二年間 47 [音楽]

日々は過ぎていった。春が来て、夏が来た。タツオ君の目にも季節が移り変わってゆくのはよくわかったのだが、それが時間の経過であるという認識は浮上してこなかった。生活のための労働をしているだけの日々を、無意味だと感じてはいたのだが、そのことに対する焦燥感を抱くことはなかった。いや、抱くことが出来なかったのである。



たしかにタツオ君はある種の平穏さの中にいた。怒りや不安のない日々。
(ひょっとしてこの薬を世界中の人々が飲んだら、戦争は無くなるんじゃないのか?)
ついにそんなことまで考えるようになっていたのである。
そしてこのような日々がいつまで続くのかと思いつつも、一方でいつまで続こうと、明日突然終わろうと、どちらでもよくなっている自分に気付くのだった。

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暗黒の二年間 46 [音楽]


年が明けて2010年になっても、タツオ君はついに僕の声を聞くことが出来なかった。
これでタツオ君の中でもウォークインの失敗は確実なものとなった。この数カ月の緊張と期待と不安の入り混じった時間は、いったい何だったのだろう。六年余りを一緒に過ごしたあのエイリアンは完全な死を迎えたと言うのか?だとしたら責任は自分にあったのではないか?いずれにしても手詰まりだった。行くべき方向性を委ねていたために、どうしてよいかわからないのだった。そして為すべきことを決める方法が見つからないまま、これまで通り惰性的ではあるが、サラリーマン生活を送ってゆく他なかった。



「どうですか?最近は?」心療内科の医師が尋ねる。
「調子はいいです。不安もイライラもないし、記憶がなくなることもないんです。」
「周りの人も…、奥さんとかもそう言ってますか?」
「はい。特に異常はないみたいですね」
「それは良かった。前回来られた時より元気がないように見えますけど、そんなことはないですか?」
「そうですかね。自分ではわかりませんが」
「薬は飲みづらくはないですか?」
「はじめは辛かったですね、とっても」
「今は慣れた?」
「ええ。でも頭の中が圧迫されるような感じはあります」
「頭痛はありますか?」
「頭痛持ちだったのが、それもなくなったのは不思議です」
「そうですか。記憶がなくなったということについて、ご自身ではどうしてだと思いますか?」
ウォークインが何らかの異常をもたらしたのかも知れないと考えてはいたものの、それを語って薬の量をふやされても困る、そう思ったタツオ君は無難な答えを選んだ。
「…わかりません」
「はじめにおっしゃっていた、幽霊は出ませんか?」
「ええ、ピタリと出なくなりました」
「良く眠れますか?」
「それが、夢も全く見なくなったのです」
「眠りが深いんでしょう」
「…でも先生、薬を飲むようになって何だか世界が狭くなった気がするんです」
「狭く?…この部屋も狭く感じますか?」
「そうではないんです。実際のスペースではなくてイメージの世界なんですが、以前は広く遠くまで見通せた気がするのに、今は窓のない狭い部屋に閉じ込められているように、何も見えないという感じがするのです」
「…それで何か困ったことがありますか?」
「いや、具体的には何も。ただ何故そんな風に感じるのかと…」
「思い込みもあるのではないのでしょうかね、はじめてこういったお薬を飲まれたことによる…」
「…そうかも知れませんね」
「とにかく薬は飲み続けてください。決して自己判断で止めないでくださいね」

医師はタツオ君の安定した様子を見て、次回の診察は一カ月後で良いと言った。投薬が適切であると判断し、同様の薬が一カ月分渡された。

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暗黒の二年間 45 [音楽]

他を虐げる者は、別の他から虐げられている。その別の他も、そのまた更に別の他から…。そうやって虐待や暴力の出所を追及してゆくとすると、その始まりはどこなのだろうか?それは特定の個人なのではない。ある一種類の心の状態がそれを強制するのだ。「恐怖」。諸悪が全てここに帰結する。そして地球人は、恐怖のない状態を永続させようとする。ここに何が生まれるか?「欲望」である。むろん生本来の本能的欲求を言っているのではない。ここで言っているのは、恐怖を出来るだけ遠ざけようとして、富を無限に増やそうとしたり、城の周りに高い防壁を張り巡らせたり、核兵器を作ったりする、最終的に破滅を招く、地球人特有の欲望のことだ。

地球世界には軍備がある。それも半歩間違うだけで、一瞬にして地球そのものを破壊してしまう軍備が…。そういう世界にあって、あなたの家庭だけは幸福、という例外は存在しうるだろうか?あなたの家庭が世界から完全に独立していれば、それもあり得るだろう。だがあなたには国籍があり、あなたは労働と納税を行い、あなたの町で買い物をする。この社会の仕組みに従って生きている以上、平然と軍備を持つという世界の在り方の影響を全く受けないということが、果たして可能なのだろうか?


Oasis - All Around The World 投稿者 Paris_Combat

国境によって分断されているとはいえ、もともと世界は一つなのである。よく「一つになろう」というフレーズが美辞麗句のように語られるが、そもそもの始まりから我々は切り離せない、ただ一つの中にあるのだ。にもかかわらず、かの国とこの国とをわざわざ分けている。他国は戦乱に満ちていようとも、我が国だけは平和でいましょうと言う。そんなことが可能だろうか?

さて、上記が不可能だとしたら、地球人が救済される日はどのようにして訪れるだろうか?
あるいは、地球人は滅亡の日まで、ついに救われないのだろうか?仮に後者だとしたら、あなたは黙って滅亡を待つのだろうか?もはや救われたいと願うことすらないのだろうか…?そしてそのような人生は…「平穏」なのだろうか…?

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暗黒の二年間 44 [音楽]

「おい…一体どうしちゃったんだよ」そう言って部長がタツオ君の肩をたたく。周りに誰もいないのを見計らってのことだ。
「あ…部長…」
「今日も具合悪そうだなあ」
「あの、部長…」
「何だ?」
「僕…やっぱり病気だったみたいです…」
「病気?なんの病気だ?」
「それが…精神科にまわされちゃったんですよ、それで病気だと…」
「うつ病か?」
「いや、もっと厄介な病気でしたね」
「厄介って…、単なる物忘れじゃないのか?」
「いや、あの時だけじゃなくて、家でも大騒ぎしたらしいんですけど、その時のことを全く覚えてなくて…」
「じゃあ、薬のせいでそんなになってるのか?」
「ええ、副作用がきつくて…それよりいろいろ迷惑かけてすみません。」
「いや…そんなことは気にしなくてもいいんだが…」
いくら普段口うるさい上司でも、さすがに病人を相手に日頃の接し方はできなかった。



「おれもかつて総務の責任者をしていたことがあるんだ」部長が会話を再開した。
「それでいろんな人間を見てきたんだよ。お前みたいになった奴も中にはいたんだがな…、やはり薬を飲み始めてしまうと仕事はダメだよな…。判断力が鈍るし、薬でちゃんと立ち直れたってケースも無かったな。」
「そうですか、でもどうすれば良いのか…」
「できるなら薬をやめることだ。まさか選りによってお前がそんなになっちゃうなんてなあ…」
部長はそれなり、口をつぐんで、パソコンの画面に見入ってしまった。
最も目を掛けて、側に置いていた部下がこのような状態になってしまうのは、実際やりきれないことだった思う。幾分屈折してはいたが、職業人には職業人なりの愛情があったということなのだろう、この時彼は本当に悲しそうに、それでも無理に微笑んだ眼差しをタツオ君に向けていたのだった。

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暗黒の二年間 43 [音楽]

僕たちの計画はこのようにして、思いがけず終わりを告げてしまった。ところが僕はこうして今、この「暗黒の二年間」を書いている。それは闇の中で幽閉されていた期間に終わりがあった、ということを指すが、それがどのようにして終わったのか、ということについてはこの「暗黒の二年間」の終盤に譲りたい。
ただひとつ断っておきたいのは、暗黒の世界にいた間の出来事については、後にタツオ君から聞いたり、またはタツオ君の記憶にアクセスしたりして知ったことである、ということだ。



僕が後で聞いたところによると、僕が暗闇に落下してゆくちょうどその時、タツオ君は夜中に目を覚ましたそうだ。そして四方に見えない壁が出来上がっていることに気付いたそうだ。それまで当り前のように広大に広がっていた世界が、感覚的にはほんの一メートル先で遮断されており、そこからは何者も入って来られないのだそうだ。無論タツオ君もその外側を見ることすらできなくなっていたという。とてもとても狭い独房に入れられたのと同じ状態で、安全ではあるが無味乾燥な四角い部屋の中に、突如として閉じ込められたのだと…。そしてその時、最期に見たイメージが悲鳴を上げながら奈落の底に落ちてゆく、「荒ぶる神」だったという。それ以降何者も、よく現れていたあの幽霊でさえも、タツオ君の前には現われなくなったということだ。これは何を意味しているのか。

ともかくタツオ君は直ちに以前の覇気を失い、別人のようになってしまった。痛みを感じなくなり、不安もなくなり、その代わりに楽しみも、また今までのような希望も失ったのである。仕事は以前の半分もこなせなくなっていた。睡眠時間が増え、家では眠る以外になく、休日ともあらば一日中眠っていた。それで夕食に起きたとしても、また薬を飲んで朝まで眠るというありさまだった。おぼろげに、こんな状態で良いのかと問いかけることはあっても、それを深く考えることも出来なくなり、まるで理性の残滓によってかろうじて日常を再現しているかのような状態だった。良くも悪くもあの白い錠剤が、それだけの強大な効力を持っていたのだ、ということを指摘しておく。

しかし仮に精神病患者がいたとして、それを「治す」薬というのは、実は存在しない。薬は治すのではなく、ある特定の症状が存在しないかのような状態を作り出すだけなのである。むろんいっときはそれらを必要とする場合があるのだろう。しかしはっきり言っておくが、病んだ世界が精神病を生むのであって、精神病を生まない世界を構築する以外には、それををなくす方法はないのだ。

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暗黒の二年間 42 [音楽]

せめてもう一度僕が表に出ていたなら、必ずタツオ君の目につくよう、メモを残していたことだろう。「君は病気ではない」そう、せめて一言だけでも…。
ところが運命はそのようにならなかったのだ。



その晩、タツオ君は処方された白い錠剤を服用した。心療内科がよこす薬と言えばそのほとんどが劇薬に相当するが、これもまた例外ではなかった。アルコールや過度の喫煙、強い薬物が、肉体と魂との接続部分に強度のダメージを与えるという事実を、僕はタツオ君に説明しておかなかった。タツオ君はまず非合法のドラッグに関わるようなことはない人だったし、僕自身まさかこんなことになるとは思ってもみなかったからだ。タツオ君もこのような薬が、本来の健全な霊的成長にはプラスにならないことは感じていたものの、服用することによって、日々の暮らしが楽になるかもしれない…、そういった楽観的な希望に安易に身を委ねてしまったことも事実なのだ…。

そして数時間後、タツオ君が眠りについたころには、僕たちの計画の全ては終わっていたのだ。僕の住んでいるタツオ君の意識下の小部屋は、見る見るうちに地響きをたてて崩壊した。中央にあった外界への窓であったコンピュータも、パチンと音をたてて消えた。僕はウォークインしたての時のように、ただタツオ君の神経系統に必死しがみつく状態となった。そして折角今日まで徐々に固定化してきたその接続までもが、今やひとつひとつ解除されてゆくのであった。
(タツオ君…やはり…その薬は…まずかったな…)
そう思いつつ僕は最後の接続を絶たれ、奈落の底へと吸い込まれていった。どこまでも、どこまでも落ちて行った。そこは光のまったく射さない、暗黒の世界だった。僕のほか何も存在しないのだ。どっちへ行っても真の闇。従ってどっちへ行ってよいのかもわからない。僕はもう外界を見ることはもちろん、タツオ君の心さえ聞こえないところまで落ちて来てしまったことを知った。

みなさんは、スーパーマリオブラザーズをプレイしたことがあるだろうか?プレイヤーであるマリオが、ブロックとブロックの間の黒い隙間に落ちて消えるとき、一体どこに落ちて行ったのか、などと考えたりはしないだろう?しかし、その誰も決して想像しないような、時空間の隙間のようなところが、実際にあるのだ。それは本当に、闇以外は何もない世界だ。そして僕が落ち込んだ闇は、さらにひどいことに、一度落ちたら最後、リプレイが効かないのだった…。

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暗黒の二年間 41 [音楽]

「総合して考えますと、ご主人はお仕事の疲れなどから強い抑うつ状態にあることは間違いありません。しかしその他、こうしてお話している限りは普通ですし、むしろ非常に常識的ですよね。ところが大きく記憶をなくしたという事実が、他人によって二度も指摘されている。そして奥さんのお話によれば、別人格が現われている。そしてその時の記憶がない…これらを総合して当てはまる病気があるんです…。『解離性同一性障害』といいます。二つ以上の人格が現われ、お互いにお互いを知らないという、少し難しい病気です。ただ私は奥さんのおっしゃる内容以外に、直接別人格が出ているところを確認できていませんので、ひとまず比較的汎用性のあるお薬を出しておきます。ストレスなどで疲れている精神が楽になり、今までよりも楽しい気分になるお薬です。それを服用してもらいながら、一週間ごとに様子を見て、より合った治療法を考えてゆきましょう。」
「はい」マコさんはタツオ君が医師の言う通りの病気であることを疑っていなかった。まさに医師に説明した通りのことが、実際目の前で起こったことに違いなかったからだ。そしてそれに対し医師が診断した病名なら、悔しいが、そうに違いない…。



医師は薬の服用方法などと、次回診察日の話などをしていたが、僕は気が気ではなかった。おそらく医師が処方する薬は、僕らのウォークインの待機状態に対して激烈なダメージを与えるであろうからだ。
タツオ君も医師の「別人格」という言葉に、我々の文字通り命を掛けた試みが失敗しつつあるのではないかという考えを深めていった。何故なら、別人格が現われるのはあと一カ月は先なのだ。タツオ君にはそう前もってよく説明してある。そしてその時には僕とタツオ君との間に、必ず明快な通信手段が確保されている筈だということも。従ってそれまでいかなる声が聞こえようとも、誤って僕の声だと認識してはならない、そこまで僕は言っていたのだ。ところが我々は一切交信しあえていない。タツオ君は、ウオークインの影響か否かは判然とせぬものの、自身に何らかの異常が生じているのだと感じていた。忙しさのため、またタツオ君を安心させるため、ウォークインのさまざまな失敗例について説明しておかなかったのは僕の落ち度だ。その結果タツオ君は精神病と診断され、それを信じている。タツオ君、聞こえるものなら聞いてくれ、もし本当にその通りなら、今までやって来たことは一体何だったのか?
しかしまた、ロザリオに責任を転嫁するつもりはないが、このデリケートな儀式を行うには、あまりに短期間に事を運び過ぎたのだ。そう思えてならなかった。そして当のロザリオには連絡が取れない。今や僕は現在自由にできる通信器官をもたないのだから。

僕は全ての状況を把握していながらどうすることも出来ない自分に苛立つばかりだった。


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